「8月の歌」を歌いながらそぞろ歩く
2006-08-05


若い頃はピュアだったから本気の本気で核廃絶と世界平和を考えていました。いや、もちろん今だって本気なんですけどね、やっぱりちょっと緩んでいるのは否めない。「反核・平和」とは当然言うけど、そうは言ってもなかなか容易じゃないよ、やっぱ実際は無理かもね、みたいなシラケた気持ちが浸入している。まあマンネリではあるけど、やはり、この時期に広島や長崎に来て被爆者の話を聞いたりすると、ちょっと気合いがはいるんだよね。その意味でも、この時期のヒロシマ・ナガサキ巡りが欠かせません。
 同じく、8月になるたびに広島と長崎に集まって、そのときだけ平和を唱えていったい何の意味があると思っていました。とくに労組内の順送りで動員されてくる参加者に意味があるのか大いに疑問に感じていました。それが90年代の後半に動員する側の実務を担当した頃から、まったく逆に思うようになった。高い意識を持って主体性を持って被爆地に来る必要なんて全然ない。組合費やカンパで行けるから行ってみようって観光半分で全然かまわない。それでも原水禁大会に参加すればどっかで被爆者の話くらい聞くだろうし、原爆資料館くらい見に行くでしょう。そうすれば、やっぱ核兵器は怖いよね、平和は大事だよね、被爆者を助けないとね、っと思う人が5人に1人や10人に1人は出てくるじゃない。それが大事なんじゃないか。仮に5000人くらい広島に連れてくることが出来れば、新しく1000人くらい反核派を増やせるかもしれないんだから。主体的に来る人はモトモト放っておいても反核なんだから好きにすればいいんだよね。
 などと思いながら、この時期になるとなぜか歌いたくなる浜田省吾の「八月の歌」って歌を口ずさみながら、ヒロシマをそぞろ歩きます。浜省って広島出身なんだよね。

>「8月の歌」
>
>八月になるたびに
>"広島−ヒロシマ"の名のもとに
>平和を唱えるこの国
>アジアに何を償ってきた
>おれ達が組み立てた車が
>アジアのどこかの街角で
>焼かれるニュースを見た
>今日も Hard rain is fallin'.
>心に Hard rain is fallin'
>子供等の肩をうつ
>飢えてゆく すさんでゆく
>明日への希望など持てないまま
(前後を省略)
[つれづれ]

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